2014年9月9日火曜日

白石雪妃書画展「模倣」

setsuhi calligraphy exhibition information
翌週15日から2週間、個展(企画展)が始まります。
今回は10mに及ぶ作品が二つと新しい試みに挑戦し、全てが新作となります。
是非お立ち寄りくださいm(_ _)m
皆様のご来場を心よりお待ちしております。

白石雪妃書画展

【模倣】~Arthur Rimbaud ,Paul Verlaine ,Pierre Soulagés ~

「創造」と「模倣」。相対する2つの探求は「個性」の所在を探る旅である。創造は模倣を、模倣は創造を生む。様々な表現に触れ用いることで、流動する個性を「書道」として再構築する試みが始まる。


Sep.15mon-28sun
15-20時(日祝11-18時)


個展会期中の9/20(土)、ミニパフォーマンスをおこないます。

-書と音と朗読と-
9/20 sat 15:00 charge¥1000(1drink付)

Calligraphy Setsuhi Shiraishi
Percussion 山岸 直人
The poem recording by Benjamin DubocCyril MeyssonFabien Guillotin&Laurie


アノアノ・ギャラリー

大塚駅より徒歩5分
http://www.anoanogalerie.com/
03-3941-3791
豊島区南大塚2-37-11ハイムセクオイア1階奥


模 倣
「表現」をするということ。多くの人は日常のなかで自己表現を、およそ無意識下で行っている。
言葉や仕草はその最たるものである。
他者に伝えたい意思を自身のもつ「表現」を使って、最大限に飾ってより良く伝えようとする。
そこでは「表現」はあくまでも意思を伝える為の「道具」である。

芸術。それは意思を伝える「道具」である「表現」を思考し、自身の化身まで高める行為である。
人類は五感を刺激する様々な「表現」を探し、その歴史の中で数えきれない「表現」を手に入れた。
それらは一世を風靡し、廃れ、忘れられてきた。
そんな歴史の中で、私たちが生きる現代は一定の飽和状態にある。
確立された「表現」が現代には溢れている。
その一つ一つをさらに磨く試み、異なるもの同士を和える試み。
飽和状態とは、様々な選択肢の無限に広がる自由な状態でもある。
現代を生きる表現者に求められているのは、必死になって「表現」の「創造」を行うことではなく、
この選択肢の無限に広がる状態を楽しみ、遊び尽くすことの様に私は思う。

今回の白石雪妃による「模倣」という展覧会は、現代を生きる表現者として、非常に興味深い。
「表現」の「模倣」。それは相対する「表現」の「創造」にも通ずる。
様々な「表現」に触れ、自由に横断し、「模倣」することで、
自己の化身である「書道」へと再構築していく。
フランスツアー中に出会った、アルチュール・ランボー、ポール・マリー・ヴェルレーヌ、
ピエール・スーラージュ。二人の詩人と一人の画家の「表現」の「模倣」。
ランボーの『地獄の季節』に収められた韻文詩「永遠」は、
その型破りで乱暴な言葉と言葉の組み合わせが無限のイメージを呼ぶ、
ヴェルレーヌの紡ぐ言葉たちは音楽へと昇華し、スーラージュのリズムをもった記号は、
コンポジションを形成し、空間表現へと変換されていく。
無限の選択肢から選ばれたこの「表現」たちが白石雪妃の中で再構築されて
いくそのプロセスは、「表現」の飽和状態である現代における、新しい「創造」

の一つのカタチであると言えるのではないだろうか。

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